〜辛かったあの夏95’〜

この時期になると辛い思い出が蘇る。

わたしがニューヨークに来たのは95年4月。
4、5、6、7月半ばまでドミトリーで暮らした。
大人しくドミトリー生活を楽しんでればいいものを、ニューヨークらしい生活がしたいという理由から
アパートを探し始めた。
もちろん、1人で住むだけの予算はないので、ルームシェアーを探した。
わたしの出した条件は、マンハッタン内で家賃は500ドルまで。
当時でもかなり厳しい条件だった。
日系のルームシェアーを紹介してくれる会社から見せてもらった部屋は、
どれもこれおもお世辞にもキレイとは言えない。 しかも怪しい。


OCSニュースという日本語新聞のクラシファイドのアパート情報コーナーに

「ロフトスペース無料。 ただしベビーシッターしてくださる方。各種、相談応ずる」

という広告を見つけたのは、わたしがニューヨークへ来てまもなくの事だった。
OCSニュースは、隔週に発行されていた新聞で(現在、休刊)この「ロフトスペース無料」の広告は
消えたと思ったらまた載ってるの繰り返しだった。
短期間に同じ広告が載ったり消えてたりすると

(ちょっと変だよね?) (こりゃ、なんかあるな)

と思うのが普通だが
部屋探しに焦っていたわたしは、同時に孤独でもあった。
ドミトリーでは英語がわからないから話しかけられえも答える事ができないし
話しもできない。
クラスメートも学校が終わると、クモの子を散らしたみたいにスーッと帰ってしまう。
学校は朝9時から昼1時まで。 その後の時間がどーしょもなく長かった。

わたしは考えた。

(どうせ7月半ばから3ヶ月間、学校は休み。やる事もないし暇。
 だったら無料の家に住んで子供と遊んでいれば気もまぎれるし、そこのお家のママとも話しができる。
 これは一石二鳥なんじゃない?)

わたしは早速そのお宅に連絡を入れ、面接に行った。

アパートはワシントンスクエアーの近くで、最高の場所だった。
部屋の中に入ると、そこは大きなロフトアパート。
わたしが憧れていたニューヨークらしい生活の場が広がっていた。
この母・子と一つ屋根の下で暮らしていく事ができるかどうかなんてどーでもよかった。
わたしは一つ返事でこのお宅に住まわせてもらう事になった。
しかし、わたしにはベビーシッターの経験がないので引っ越して来る前に
きちんと子供の面倒がみれるかどうか練習として、ママが出かける時にわたしが数回
ベビーシッターをした。
子供は2歳の女の子でとても可愛かった。
でも、躾がまったくできてなかったので
とってもとってもわがままだったが、なんとかベビーシッターもこなせた。


引っ越してきてから5日目、わたしは自分の過ちに気づいた。

(わたし、もうダメだ。ここでは暮らしていけない・・・・・)

その日、前のベビーシッターのHさんが遊びに来た。
ママはいなかった。
わたしはHさんにどうしてベビーシッターを辞めたのか聞きたかったが、聞けなかった。
彼女もまた、わたしに何か言いたげだった。
お互いに様子を見合って牽制し合っていた。
わたしは思い切ってHさんに言った。

「わたし、今日で5日目なんだけど、もうダメかもしれない」

「・・・・・ その気持ちわかる。通いで来るのと住み込みは違うもんね。」


わたしで3人目だと思っていたベビーシッターが実は、過去に20人ちかくいたこと、
引っ越してきてもみんな、1ヶ月も保たなかったこと。
1日で終わった人もいたこと。親子とのトラブルなど
叩けばホコリがでてくる、でてくる。


初めてストレスで胃が痛くなる経験をした。



その年の7月終わりから8月始めの約10日間、ニューヨークは記録的な猛暑だった。
連日40度を超える暑さ。
小さな子供のいる家は、早寝早起きが基本だが
この家はママが夜な夜な出ていくので夜中まで子供とキャッキャしながら遊んで
ママが家を出てからベビーシッターのわたしが子供を寝かせていた。
朝は10時過ぎに起きて、洋服に着替えさせ朝ご飯を食べるのに子供がぐずり2時間近くかかっていた。
ママが家にいるときは基本的にはベビーシッターはやらなくてもいいというのが条件だった。
ママは昼間はいつも家にいた。
でも夜出歩いて朝方帰ってくるので、一旦起きて子供に朝ご飯を食べさせると

「わたし寝るからあとよろしく〜。外に連れてってね」

わたしと子供は炎天下の中、一番暑い午後2時頃に公園に行き
2時間程遊び、家に帰ってきてお昼寝をさせる。
また6時過ぎに公園に行く。

朝の涼しい時間に公園に行くのが普通だと思うけど
この家では子供中心と言ってながら実はママ中心の生活だった。


(わたし、ニューヨークくんだりまで来てなにやってんだろ・・・)


子供が遊んでる遊具の横
夕暮れのワシントンスクエアーで1人泣いた。


わたしは3週間でこの家を去った。
本当にこの3週間は地獄のように辛かった。
が、しかし1つだけ嬉しい事があった。
3週間でわたしは7キロ痩せた。



それから1年後、
あの時の体験も 「実はね・・・」と、話せるようになった頃
わたしよりも少し前にニューヨークに来た学生でベビーシッターをやってる人たちの間では
「あそこの家だけは行ってはいけないベビーシッター先」という家があったことを知った。
その家こそ、わたしが3週間過ごした家だったとは言うまでもない。


あれから10年が経った。 今でも夏になると辛かったあのときの事を思い出す。




このあとクラスメートでブラジル出身のジョアンナのアパートに住む事になった。
今度は日本語じゃなくて英語での生活。
今度こそニューヨークでのハイパーテンションなわたしの生活が始まる。
希望に満ちていたわたしだったがが、ジョアンナとの生活も長くは続かず6週間で終わることになろうとは・・・
まぁ、この話しはまた次回ということで。